天上天下唯我独尊

自分も生まれながらの尊い生命だと信じたい

Man always remember love because of romance only

ねえ、これなんで三単現のsないの?英弱に理由を教えてくれ。ちなみにこれはマルボロの頭文字の言葉遊びとして何度か目にしたことのある文句。まったく、家族愛とか友愛じゃなくて恋愛以外見えなくなってロマンスでしか愛を思い出せないなんて憐れな人類!あれ!?!!?これはもはや自己紹介かも…………

さて、先日元交際相手に関するブログを書いたところなんと夢に出てきました。元交際相手と書くと事件のように聞こえますね。私にとって夢に出てきたことは大事件でした。あくまで自分の感情整理と戒めの為だけに書いた文章で、あまり本人のことを思い出さないようにしたのに……家族曰く、寝言で「すみません……」と謝っていたらしい。どんな悪夢だよ。

そんな目覚めた時から何だか気だるく鬱々とした気分を晴らすため、お出かけをしました。常々行きたいと思っていた場所をいくつか巡り、るんるん気分になりました。そしてその後、元交際相手と付き合った日に行った公園にやってきました。わざわざ傷を抉るために行ったのではありません。ドキドキメンヘラ立ち直れるかなチャレンジのためです。

どういうことがというと、正に思い出の地を様々な記憶を持ちながらも平常な心を持って1人で歩けるかという挑戦と、私の中でトラウマの公園という概念を普通の公園のひとつとして接することが出来るものに戻したかったのです。

日差しが強い時間にこの公園を歩くのは初めてでした。広い公園を1人で歩くのは寂しくもありました。とぼとぼ歩いていると、母親らしき女性が子どもの名前を呼びました。元交際相手と同じ名前でした。こうしてまたメンタルは若干落ち込んだものの、私を焼肉にしかねないほどの猛暑のお陰で私の感情は若干太陽に対する憎しみへシフトし、加えてまだ辛うじて綺麗な自我による「ここには薔薇が咲いていたんだ。知らなかったな〜」などという発見のお陰で無事深刻な鬱からは脱却しました。

ほんとにそうかな。ずっと、これからも私が愛せる人で私を愛してくれる人が現れなかったらどうしようという不安が頭から離れない!恐怖!孤独の人生は嫌だ………………

告白するべからず

タイトルは、三島由紀夫の「不道徳教育講座」から引用した。

「好きです!付き合ってください!」

なんて愛の告白はタイトルは示している告白とは違う。

近年自己ブランディングという言葉を多々目にするようになったが、そういった意味での余計な自己開示をするなという話だ。

私は自己ブランディングに失敗し、相手から告白してくれた=私の価値を高く見積ってくれただろう恋人にフラれた。

私はコミュニケーションが苦手である。基本話題の中心にはなれない。3人で歩きながら話していると道の幅やら反対側から来る人やらを避けるうちに1人だけ後ろにズレていき、ほぼ聞こえていない話の断片を必死に拾いながら「そうなんだ〜」と相槌を打つだけの機械になる。

このように他者から主役として興味を向けられることに慣れていない人間に恋人が出来、そして恋人の異性絡みが酷いとどんな悲劇が起こるだろうか。

私は、同情を得れば易々と離れていかないぞ、と勘違いをして自分の辛い過去の話ばかりしてしまった。

その結果、私のブランドイメージは急降下。大恐慌もびっくりの急降下。

これは例えの大嘘だが、GUCCIが元々百均で扱われていたんだよ!と、これが事実だとしても知りたくない話でそこから百均で買えたものをわざわざ高額で買おうとか大切に保管しようと思わないのが人間の心である。(GUCCIに対する評価は様々あるだろうが、クールだと言う意味のスラングとして使われているぐらい良いブランドイメージを確立している)

私はハイブランドのように大切に扱われたいという意思に反し、自らの価値をダイソーで売られている品にしてしまったという訳だ。

そして私はゴミ箱へシュートされたわけである。その後、しばらくして不道徳教育講座を読む機会があり、この章で、ありのままの姿を認めてもらおうとするのは甘いとの記述を目にして、私はぎゃあと悲鳴をあげた。

さあ、タイトルの意味をお伝えしたところで自戒を込めて。

「告白するべからず」

 

まあこうしてインターネットでは告白しまくってるわけだが、せめて現実では余計な告白をしないようにしたい